
福井の北国街道を巡るウォーキングも、いよいよ後半戦。
ゆるゆるペースの歩きなので、まだそれほど疲れは感じませんが
自分が感じている以上にダメージが蓄積しているのがロングのオソロシイところ。
さらには・・・・なーんかお腹も減ってきたのよね~(笑)
その1からの続きです。

白鬼女橋を渡り、越前市(武生市)に入りました。
ワタクシはゲンジさんの真後ろにピッタリと付き
スリップストリームを使い、少しでも体力を温存する作戦( ー`дー´)キリッ
いくら、ゆるゆるウォーキングとはいえ、ここからさらに倍近く歩くとなると
スタミナの消耗もばかになりませんからね~

・・・・っと、ここで、史跡よりも気になる・・・・・
居酒屋さん?発見!+゚。*(*´∀`*)*。゚+
しかも、店名が・・・ベホマラって!(◎_◎;)
ベホマでもなく、ベホマズンでもなく、ベホマラーっていうのが絶妙です(笑)
残念ながら開店前でしたので、ここで体力回復はできませんでしたが
もし営業していたら・・・ここで本日終了だったかも(;´д`)
あっ、ベホマと言えば、今月の27日で
RPGゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズが35周年を迎えるらしくって
一番最初のドラクエからプレイしてきたワタクシとしては、とても感慨深いものがあります。
これも、立派な歴史ですよね。ドラクエ12の発売が待ち遠しいです。

新しいガラスがはめ込まれ内装をキレイにリニューアルしている最中の古民家などもあり、
おしゃれなカフェかレストランに生まれ変わるのかもしれません。
10:22 柳原舟だまり 通過江戸時代、この辺りには小舟の舟だまりがあり、先ほどの白鬼女から荷を積んだ舟なども係留されていたそうです。
柳原は、陸路と水路の要地であったため、茶屋や料亭・商家が軒を並べ三味線の音が絶えなかったと伝えられています。

現在は、コンクリートで固められた用水路になってしまっていて、その頃の名残を見つけることは難しいです。

近くには、北府不動明王が祀られている湧水場もありました。
「南越清水 瓜割の水 極楽の一滴」と呼ばれ、目やカラダの病気が治ると伝えられているそうです。
町工場などがある市街地の一角に、今なお滾々と湧き出ているのも驚きです。

さらに進み、線路沿いの細い路地を抜けると・・・・
10:39 福鉄 北府駅(きたごえき) 到着
駅舎は内外ともレトロに造られており、ふくてつグッズや

鉄道資料館のように、昔の鉄道に関わる色々なものが展示されていました。

外の線路には、懐かしい福鉄カラーの車両などもあり、ラッセル車が連結されているように見えました。
ひょっとして、今年の豪雪時に活躍したのでしょうか?
だとしたら、ちょっと嬉しいかも。

駅の前に設置されていた大きな市街図で、今後のルートを確認。

越前市(旧武生市)中心街には、ワタクシが小さい子供の頃に見たような外観のお店が、
今もふつうに営業されています。
昭和の前半を舞台にした映画のロケに、そのまま使えそうな雰囲気です。
11:00 総社大神宮 通過総社大神宮は国司の巡拝の為、様々な神々を一社にまとめて創建された神社で、
その存在が国府であったことを示す根拠となっています。
戦国時代、前田利家により府中城が拡張された時に、この場所に移されたとされています。
地元の方からは
「おそんじゃさん」と呼ばれ親しまれているようですね。
ちょうどこの時は、境内で結婚式が行われていました。
越前市の
ご当地グルメ「ボルガライス」で有名な、
ヨコガワ分店さんの方が気になってしまいましたが(笑)

総社大神宮の斜め向かいには、
「蔵の辻」があります。
江戸時代以降、関西と北陸への物資の中継地点として栄え
多くの立派な蔵が並んでいた場所を再開発し観光資源として再生させました。

さらに市街地を南進しアーケード街を抜け、お寺の建ち並ぶエリアへ。

狭い街道を歩いていると、忽然と大きな枡型の広場が現れました。
見渡すと四角形の角に、それぞれ細い路地が伸びており
その形からか、
「卍が辻(まんじがつじ)」と呼ばれています。
伝承によると、織田信長方の武将が、雇った足軽の人数を数える為の、「人枡」として造ったという説や
卍にすることで見通しを悪くし攻め難くする軍事施設であるという説、
あるいは、この先にある龍門寺城の堀跡ではないかという説等々、
諸説ありますが、その真偽は定かではありません。
ただ、大昔、無理やり駆り出されたやる気のない(笑)足軽たちが、
この枡型にぎゅぎゅうに押し込められ、上からお侍さんに数えられていた情景を想像すると
なんだか楽しい気分になってきます。
11:09 龍門寺城跡 通過天正元年、織田信長は朝倉攻めの際に、ここに本陣を構え
朝倉滅亡後の天正三年、越前一向一揆討伐の際にも羽柴秀吉・明智光秀らに龍門寺城を攻めさせ
再びこのお城に入ったそうです。平定後は前田利家・佐々成政と共に越前府中を均分し与えられた
府中三人衆の一人、不破光治の拠城でした。戦国時代はお寺というより、軍事的な平城だったんですね~

他にも街道には、平坦な土地にあえて勾配をつけ、しかも「く」の字に曲げた坂など
その目的が判然としない謎スポットがいろいろありました。

もちろん、現代の美味しい謎スポット(笑)
よっし~師匠御用達の「吉田食堂」さんもありましたよ。

市街地の所々に見られる町用水は。慶長六年頃、府中領主 本多富正によって改修・整備されたと伝えられています。
最終的には府中全域を潤うように清流が流れ、街道沿いに植えられた柳や松並木と水路が織りなす風情は
多くの歌人が絶賛したそうですが・・・・
高度成長期の暗渠化工事によって、すべて姿を消してしまったとのことです(涙)

そうこうしてるうちに、市街地を抜け郊外へと進んで来たのですが
知らぬまに北国街道を外してしまっていたようなので

田んぼ道を横切って、北陸本線の東側に軌道修正。

むうっ~、この雰囲気なら間違いでしょう(*-ω-)ウンウン♪
と再び調子良く街道を歩き出しましたが・・・・何の確証も無し(笑)
まっ、小さいことは気にしない気にしない(´∀`*;)ゞ

国道8号バイパスの下を潜り、365号線と並行している旧街道を進みます。

古の道標も残されています。
ただ、文字が消えかけててハッキリしませんが
「大坂」「西」「敦賀」らしき彫文字を、なんとか読み取ることができました。
ここから、今の大阪までの距離が記されていたのでしょうか?
それとも「大坂」という地名の場所が別にあったのかも知れません。
12:29 丸金そば 到着路傍の史跡や風景に思いを馳せながら、歩くこと6時間超・・・・・
さすがにお腹が空いてきましたので(実はかなり前から空いてましたが)
いったん国道365号線に戻り
越前市の外れ、今宿町にある
「丸金そば」さんに躊躇なく突入!

まずは、消費した水分を補給(笑)

その後、
「おろしなめこそば」で糖質を摂取!
丸金さんの「おろしそば」は、かなり辛いのですが
なめこのネバネバから作った?この表面を覆い尽くす白い泡泡が
絶妙に辛さを中和してくれていて、ワタクシのお気に入りメニューです。

いやぁ~、すっかりお腹も膨れ、お酒も入って
小上がりの座敷で横になり、ひと眠りしてしまうところでしたが、
気力を振り絞って、再びON THE ROADへ。
13:50 南条駅 到着こちらの駅は、先ほどの北府駅と正反対の、近代的な四角いビルでした。
おトイレをお借りして、一休みさせて頂きました。

マンホール写真コレクターのワタクシとしては
ハスの花をデザインした蓋を発見できて感無量(笑)

かつての関所であった「鶯の関」の石碑。
室町時代の連歌師、宗祇は
「鶯の啼つる声に 仕切られて 行きもやられぬ 関の原かな」と詠んでおり、歌中の「関の原」とは、今の地名「関が鼻」のことのようです。

明治十一年(1878)の明治天皇北陸御巡幸での休憩所跡も、鯖江から何ヵ所も残されていました。
この場所では、休憩した日にちと時間まで克明に案内板に記されています。

鯖波トンネルを潜って、さらに南下。

北陸本線西側、山際の道に繋がっていたのですが、
どうやらここはただの農道で、北国街道では無い雰囲気。

線路の東側に戻り、街道に復帰。

宿場の高札(昔の法令などの掲示板)場跡などもありましたので、間違いないでしょう。
ただ、この後、湯尾峠越えがあるはずだったのですが、

いまいち峠の入口が分からず、国道365号線沿いを歩くことに。
正直ワタクシは、もう少しの登り坂も歩きたくなかったので
国道歩きは大歓迎でしたけどね(;´д`)

そうこうしてるうちに・・・・・
15:28 今庄宿 到着
江戸時代を通じて、宿場として越前で最も繁栄した今庄は、今も昔のままの街並みが残されています。

慶長七年 初代福井藩主 結城秀康によって整備された今庄宿は、城塞としての側面をもっており
この写真のように、南北端の入口には矩折(かねおり)という、街道を屈曲させた場所を造り、
武者だまりに使ったり、外敵が侵入しにくいようにしていたそうです。

北国街道は江戸参勤には最短路で、越前各藩はほぼ今庄宿を利用し、
江戸時代中期以降は、商用や京の寺参り、伊勢参り等に往来する旅人の宿泊が急増し
宿は繁忙を極めたようですね。
15:45 今庄駅 到着
結局、福井駅からは
約42km 食事の時間を抜いても
9時間以上の長旅でしたよ・・・(;´д`)

幸い、ほとんど待ち時間も無く、福井行きの列車が来るようでしたので
慌てて切符とアレを購入して

列車に乗り込みます。
そして・・・・・
おつかれさまっしたぁ~ヽ(≧∀≦)ノ
ビール2本目ですが、ナニか?
でも、もちろん、騒いだりしてませんよ!
黙食ならぬ・・・・・
黙飲みですっ!黙飲みっ\(//∇//)\
16:30 福井駅 到着歩くと10時間近くかかったのに、列車だと30分ほどで着いてしまいました。
(ゲンジさん撮影画像拝借)コロナ禍でなければ、当然駅前の居酒屋で反省会(笑)をするところですが
今日は、このままお別れです。
ゲンジさん、今回もホントにありがとうございました。
ただ・・・・・
脂肪をたっぷり燃焼したハズなのに
ツギロウさん
そ、そのお腹は、どうしたのかな?(´∀`*;)ゞさあ、ツギはどの街道を歩いたロウか?
ちなみに今日のログです。「ラン」ぢゃなく、歩きですけど。


ツギは、今庄から滋賀県 木之本までかな?
もちろん県またぎが、ふつーに出来るようになったらね(笑)
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