
にわか戦国ファンのワタクシが
謎多き武将、明智光秀の足跡をめぐる山旅シリーズ・・・・
・・・大好評ですっ!( ー`дー´)キッパリ 前回の
坂本城~西教寺~比叡山に続き、
今回は、
亀山城~明智越え~愛宕山という
日本史上最大の謎とされる
「本能寺の変」に関わるエリアを巡って参りました。
いつもどおりビール好きお仲間きっての歴史マスター、
ゲンジさんが計画・監修・同行してくださってますので、
にわか戦国ファンのツギロウに歴史を語らせることに不安な、
本物の歴史ファンの皆様・・・・
安心して下さいっ!(笑)
(NAVITIMEの検索画面から抜粋) 光秀が丹波平定の後、亀山城とその城下町を築いてから急速に発展したとされる、
現在の亀岡市は福井から約215km、高速道路をフル利用して約2時間40分の位置にあります。
(ヤマレコの便利機能・ヤマプラの画面より抜粋) 今回は、JR亀岡駅のすぐ近くにある
亀山城跡からスタートし、
明智越から
愛宕山(標高:924m)、
愛宕神社に参拝し、表参道から
清滝に下山。
その後、以前歩いた
京都一周トレイルの一部を通って保津峡へ向かい、
そこからトロッコ列車に乗って亀岡に戻る、
約18km・CT9時間のコースを歩く予定です。
7:15 ブーブーパーク亀岡南郷公園前パーキング 到着
福井を4時頃に出発。途中休憩や買い出しを挟みつつ、3時間ちょっとで到着しました。
このパーキングは、亀岡駅や亀山城址の近くにありながら、
1日MAX400円というとてもリーズナブルな料金となっています。
今日は、この駐車場を本陣として、戦に臨みたいと思っております(`・ω・´)ゞ

駐車場はとても広く、時間が早いこともあって
どこでも好きなところに停めることができました。
7:18 亀山城に向けて出発 同じようなコースを歩かれた方のログがヤマレコにありましたので、ダウンロードさせて頂きました。

交差点を一つ渡れば、すぐ亀山城のお堀が広がっています。
7:24 亀山城址 入口到着 現在の亀山城は、市や町の管理ではなく宗教団体の所有となっています。
ですので、誰でも自由に出入りできるわけではありません。
ただ3月末日までは、300円の入館料で、復修された城址・天守台が拝観できるようです。
今回は拝観可能時刻(9:30~16:30)外でしたので、中には入れませんでしたが
(亀山城天守古写真より) 我々二人とも想像力をフル活用して亀山城を堪能しました(笑)
さあ、それでは、いよいよ
明智越えに向かいます!
そもそも
「明智越え」とは・・・・・
(亀岡市HPより抜粋地図を一部改) 光秀が丹波平定後、築城した亀山城から愛宕山の愛宕神社へ参詣した時に通ったとされる道であり
本能寺攻めの際に、1万5千の軍勢を
「明智越え・唐櫃越え・老ノ坂」の三役に分け
自ら進軍したルートが「明智越え」とも言われています。
ただ、これも諸説入り乱れており、確かなことは解っていません。

亀山城址より、保津橋を渡り北東に進み、まずは明智越えのスタート地点となる
簾戸口(すどぐち)を目指します。

保津橋脇にあるサンガ・スタジアムから近くの河川敷までのエリアには、いくつもの気球が上がっていました。
サッカーのイベントでもあるのでしょうか?
7:57 簾戸口 到着保津町の街中に、登山口の場所を示す案内板は見つけられませんでした。

入口には、明智越や愛宕山の説明看板やコースマップなどがありましたが
マップは・・・解読不明(笑)

ルート沿いには、いくつもの史跡看板や道標が設置されているのですが
支道や分かりにくいところも多く、事前にある程度下調べしといた方が安心かと思います。
8:25 峯の堂(むねんどう)跡 通過 本能寺の変の数日前、愛宕山で催した歌会の帰りに、
清和天皇をお祀りした峯の堂で必勝祈願をしたとされています。
本能寺攻めは成功したものの、その後山崎の戦いで秀吉に敗れた光秀の心中に共鳴して
「峯の堂」はいつしか「むねん(無念)どう」と呼ばれるようになったそうです。

ところどころ倒木がある以外、登山道はとても踏み固められて歩きやすく、
一般的なお山の登山道より幅も広めです。
光秀が馬や町民の通行を盛んにするため整備したということが十分感じられるルートでした。
8:40 土用の霊泉 通過いかなる夏の暑い土用にも涸れることが無かったと記されていますが、現在は水場らしい雰囲気は全くありません。
8:48 保津峡方面分岐 通過本来の明智越は、この分岐を右に降り、麓の水尾集落から保津峡へ向かうようですが
ワタクシ達は、愛宕山山頂を目指していますので左へ。

先ほどの分岐を過ぎてからは、視界が開け、谷を挟んで愛宕山の稜線が見渡せるようになってきました。
9:28 神明峠 通過いったん舗装された林道に出てから、再び斜面に取り付きます。
(ゲンジさん撮影画像拝借) 非常に登山口の標識が小さいですので、お見逃しなく!(;´д`)
(ゲンジさん撮影画像拝借) その後は、斜度も上がり、本格的な山道となっていきます。
これまでの比較的緩やかだった明智越でさえ、ゲンジさんのペースに全くついて行けず
ヘロヘロだったワタクシは、たまらずゲンジさんの前に出て・・・・
行く手を阻みますっ!( ー`дー´)キッパリ いやぁ~ゲンジさん、毎週毎週山スキーでハードな鍛錬を積んでらっしゃる成果がハンパないっす。
ゲンジさんのスピードについて行こうとすると、心拍数が170~180突破してしまうので・・・・
今からでも遅くありません
・・・4年前のゲンジさんに戻って欲しい(笑)
10:12 首無し地蔵 通過神明峠からここまで、ナカナカの登りでした。
ただ、この先は緩やかな稜線歩きのようなので、なんとか愛宕神社には辿り着けそうです。

雪の無いお山でも、すり鉢状の斜面を見ると
スキーで滑り下りる想像をしてしまうゲンジさん(笑)

その後、いくつかの分岐を過ぎて・・・・
10:52 愛宕神社 到着最後の長ーい石段が、修験のお山であったことを思い出させてくれました。

早速、参拝させて頂きます。

拝殿の奥に飾られていた、大きな絵に描かれている
「天下静謐」の文字が妙に印象に残りました。

同じ敷地内にある、「白髭明神」にもお参りした後

京都市街を一望できる場所でお昼ごはんタイムです。
きっと光秀も、この辺りから京の都を眺めたことでしょう。
ちなみに本能寺攻めの数日前に、
この地で催した連歌会での「愛宕百韻」において
光秀が詠んだとされている発句が、こちら

謀反の決意を掛詞に込めた歌だったのではないかと推察されているようですが
これも、その真偽は定かではありません。
明智光秀というお方は、すべてが謎なのです。
11:44 表道より下山開始「表」というだけあって、明智越の5~6倍広いです。
11:50 黒門通過参道は一般観光客の方も多数登ってこられますが
この延々と続く階段は、山慣れていない人にとっては相当キツイと思います。
12:00 水尾別れ 通過
その昔、参拝客が休憩や飲食する茶屋が登山道脇に、いくつもあり賑わっていたようですが
今は、麓を除いて山中には一軒も残っていません。

昭和初期にはケーブルカーも設置されていたようです。
12:52 一の鳥居通過 下山完了
麓の茶屋には、「生ビール」の文字が・・・
車でなければ、迷わず飛び込むところです(泣)

清滝からは、以前踏破した京都一周トレイルの一部を通ります。

京都一周トレイルの時は秋だったので、紅葉がめちゃめちゃキレイだったのですが
今の時期は、かなり寒々としています。
(ゲンジさん撮影画像拝借)まっ、ワタクシのオナカは、脂肪の腹巻きで覆われていますので
あまり冷えることはないですけどね(笑)
にしても・・・・・
月間100km走ろうが、10kmマラソンに出走しようが、HTSやLSDしようが
ヘコまんな~お腹(;´д`)

ここから六丁峠を越え、鳥居本に抜ければ京都一周トレイルも残りわずか、
ただ今日のワタクシ達は反対方向の落合橋を渡って、保津峡方面へ。
13:30 嵯峨野観光鉄道 トロッコ保津峡駅 到着当初、ここからトロッコ亀岡駅まで列車に乗り、戻る予定だったのですが
ツギの便まで45分も待たなくてはいけない為、急遽この先のJR保津峡駅へ向かうことに。

再び保津川沿いに舗装路を南下すると

鉄橋の上にJR保津峡駅が見えてきました。
14:13 亀岡駅行 普通列車到着
亀岡駅までは2駅、190円でした。

日曜の午後の為か、車内はガラガラ。
14:23 亀岡駅 到着
少し亀岡の駅前を歩いて
(ゲンジさん撮影画像拝借)
14:30 ブーブーパーク亀岡南郷公園前パーキング 戻りおつかれさまっし・・・た・・・・
・・・あれっ!?
この後は、
秀吉殿の援軍に備中へ向かうのでは???
いやいや今日はここからが、本番。
ブーブーパークで戦支度を整え・・・・
我が敵は、織田信長と申す( ー`дー´)キリッ
敵は・・・・本能寺にあり!史実とはちょっと違うかもしれませんが、
老ノ坂ルートを速籠で爆走(笑)
天正十年 六月二日 早暁・・・・
(ゲンジさん撮影画像拝借)光秀、本能寺に到着。
誰よりもお互いを認め合っていた二人の
辛く、悲しい戦いが始まりました(涙)同日夕刻・・・・
本能寺址近くの、「京都拉麺 むらじ」さんにて反省会。
いやぁ~、なんとか勝てて良かったけど・・・・
実は、
本能寺・・・
危うく、
通り過ぎるところだったよ!(;´д`)さあ、ツギはどの光秀を追いかけたロウか?ちなみに、今日のログです。



「保津川下り」や「トロッコ電車」にも乗ってみたかったなぁ~(笑)
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